早稲田大学校友会 山梨県支部の歴史

主要行事の抜粋

明治16年10月東京専門学校 創立
明治22年7月山梨県出身で最初の得業生(卒業生)は3名
邦語政治科  青柳徳太郎 氏
邦語政治科  窪田 操  氏
英語本科   小野得一郎 氏
明治32年3月東京専門学校山梨県同窓会 の設立
発起人総代  加賀美幹次郎 氏 (明治25年 邦語政治科卒)
参加者は 得業生、支援者、来賓(高田早苗・尾崎行雄)の30余名
明治35年3月山梨県校友会 開催
母校への寄付を決定校友13名と支援者で20名参
明治35年10月東京専門学校は早稲田大学と改称
明治37年10月大隈伯爵を迎え山梨県校友大会開催
大隈伯夫妻 高田早苗 天野為之 市島謙吉 浮田和民
他来賓校友および支援者200名で会合
明治42年4月大隈伯爵来賓を迎え山梨県校友大会開催
大正5年5月校友の坂本三郎知事が着任 歓迎校友会
坂本氏を会長に推挙
大正9年7月母校教授による学術講演会を現役学生とともに開催
講師は五来教授 会場は甲府中学校
大正12年県支部組織が校友会本部記録に掲載される
常務(幹事長) 浅川湖郎 (明治36年 英語政治科卒)
昭和5年新会長に 大森慶次郎 氏 
(明治23年 英語普通科卒、同26年文学科卒)
昭和5年8月早大河口湖運動場の開場記念 校友支部大会
高田総長を迎え河口湖にて野球部の試合と懇親会
昭和8年7月県内の教育関係校友で「峡稲会」を設立

明治期に卒業し、全国で活躍した主な本県出身校友

埴原正直 氏明治30年 英語政治科卒 源村出身
得業生総代 その後 大学監事 同維持員 35・45周年校友大会の総代
文官高等試験外交科に合格 桑港総領事 政務局長 外務次官 駐米大使
石橋湛山 氏明治40年 大学部文学科卒鏡中条村出身
大学評議員
東洋経済新報社社長 大蔵大臣 内閣総理大臣
早川徳次 氏明治41年 大学部法学科卒 御代咲村出身
大学監事 同維持員
日本初の地下鉄 東京地下鉄道株式会社の社長 「地下鉄の父」

歴 代 支 部 長

明治32年発起人総代 加賀美幹次郎氏
      (明治25年 邦語政治科卒)
以後は当番幹事制で開催
大正 5年会長   坂本三郎 氏 (校友官選知事)
    (明治21年 邦語法律科卒)
大正12年常務 浅川湖郎 氏 (会長代行)
   (明治36年 英語政治科卒)
昭和 5年会長・支部長 大森慶次郎 氏 
       (明治23年 英語普通科卒、同26年文学科卒)
昭和26年支部長 武田與十郎 氏
     (大正14年 専門部商科卒)
昭和33年支部長 平井一満 氏
(昭和6年  法学部卒)
昭和55年支部長 秋山 亮 氏
     (昭和17年 法学部卒)
平成 6年支部長 小林 隆 氏
    (昭和24年 専門部法科卒、同26年第二法学部卒)

平成16年支部長 金丸康信 氏
       (昭和41年 政治経済学部卒)